八代亜紀さんは父親が買ってくれたLPを聴き「歌手に!」
16歳で上京して以来ずっと心の中にある名曲
中学を出て、まず恥ずかしがり屋を克服しようと、地元でバスガイドになりました。名所旧跡の分厚い本を必死で暗記したのに、お客さんに「アキちゃん!」なんて声をかけられると頭真っ白。何も言えないうちに、名所旧跡を通り過ぎてしまったり。運転手さんに叱られ、毎日泣いていました。
困っていたところ、知り合いに「キャバレーで歌ってごらん」と勧められ、八代市で一番大きな「キャバレー白馬」の専属に。ところが3日で父にバレ、「不良はいらない!」と家を追い出されました。母の姉夫婦が東京・目黒にいたので、私は単身上京することになったんです。八代から九州山地をバスで越え大分・別府へ。そこから船で瀬戸内海を横断して神戸、神戸から列車で東京へ。丸1日かかったかしら。ううん、悲愴感なんてない。船のデッキから、本州と四国の街あかりがキラキラして夢のようで、「東京へ行って歌手になるんだ!」ってワクワクしていました(笑い)。父はいつかわかってくれると思っていましたから。
上京後は音楽学校に通いながら、美人喫茶などで歌い、銀座のクラブ時代にスカウトされ、21歳の時、「愛は死んでも」でデビュー。その翌72年、「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、グランドチャンピオンに。そして73年に出した「なみだ恋」が100万枚突破の大ヒット。支えてくれた父親への恩返しになったという。その後の国民的歌手としての八代さんの活躍はご存じの通りだ。
私、すごい曲にたくさん恵まれました。幸せな歌手ですよね。ジュリー・ロンドンのジャズのLPは16歳で上京してきたとき、故郷に置いてきましたけど、彼女の歌は私の心の中にずっとあった。そもそも、私の中では演歌とかジャズとか、音楽のジャンル分けってないんですよね。
(聞き手=中野裕子)
▽やしろ・あき 1950年8月、熊本県八代市生まれ。「舟唄」「雨の慕情」など大ヒットを連発し、12年には初の本格ジャズアルバム「夜のアルバム」をリリース。また98年からフランスの由緒ある公募展「ル・サロン展」に5年連続入賞するなど画家としても高評価を得ている。この4月から、BS11で毎週木曜19時30分から約1時間半放送の「八代亜紀 いい歌いい話」のMCを担当。毎回、複数の大物ゲストを招きトークやデュエットを披露している。