<5>五社監督が「こいつはふっと怖い顔になることがある」
「笑点の本多プロデューサーに、『番組の中で昇進披露口上をやるには、朝次のまま真打ちになるんじゃなくて、朝次改め○○が欲しい。何かいい芸名はないの』と言われまして。寄席文字の橘左近師匠に相談したところ、『元は桂文治の弟子なんだから、桂だったら才賀というのがある。7代目でいい名前だよ』と言うんで、志ん朝師匠に話すと、『古今亭にはいい名前が残ってないから、おまえがいいなら』と賛成してくれました。それで予定通り、笑点の中で披露口上をやったわけです」
当時の落語協会会長、柳家小さん、志ん朝、先代金原亭馬生ら、そうそうたる顔ぶれが口上に並んだ。
真打ちになっても少年院の慰問は続けた。久里浜少年院の野津院長とのお付き合いも続き、定期的に久里浜へ赴いた。
「真打ちになって3年目のことです。慰問を終えた後、院長に、『これからも少年院を回ってくれるなら、パスポートを作りましょうか』と言われて、どういうことかと聞いたら、篤志面接委員にならないかと言う。各少年院に15、16人の委員がいるそうです」
思いもかけぬ申し出だった。=つづく