電波少年ヒッチハイクより売り上げ9割減の今の方がキツイ
ヒッチハイクだけで旅をする「進め!電波少年」の企画で南北アメリカ大陸縦断1万2000キロの旅に出た1996年、いきなり南米大陸の最南端マゼラン海峡に連れて行かれるとき「嫌じゃあ」と叫んだ23歳のボクには、不安と怖さしかなかったですね。
実際アルゼンチンでナイフを突きつけられ、コロンビアでは角材を持った人たちに追われ、アメリカではピストルで撃たれ、本当に死ぬかという過酷な場面が相次ぎ、くじけそうになりました。その1年2カ月の旅と、コロナ禍で大ピンチのお店「馬肉屋たけし」の経営と、どちらがきついか聞かれ、今と答えました。
あの旅にはアラスカのエンド・オブ・ザ・ロードという明確なゴールがあった。それを目標に頑張れた。今はそれがありません。どこまで踏ん張れば元のようになるのか分からないなかでは、気力を持ち続けることからして大変です。こちらの都合で休んでもらっている10人のアルバイトに、何の見通しも示せないのが何よりつらいです。