忘れられない「馬鹿か天才しかいらねえんだよ!」の一言
「とりあえず書いた小説があるのだから出版社の応募に出してみたら」と青年にメールを送った。
「わたしはほとほとロクな人間でないので、作家になりたいというのなら、別のきちんとした方を探すのもいいかもよ」とも付け足した。が、青年は「これも縁ですから! なにかお言葉を!」と返信してくる。
「縁か」と宙を見上げる。縁は存在する。親も友も好きになる人も、仕事関係も今日コンビニでたばこを買ったときの店員さんもみんな縁だ。そして縁は思わぬ言葉をくれたりして、その後の人生でふと「サイン」をくれることがある。
わたしは俳優を志し、10代から27歳までとある芸能プロダクションにお世話になっていた。このプロダクションの社長がはっきり言って天才だった。多くの俳優を輩出し、しかもそのプロデュース能力が半端ではなかった。ご迷惑になるといけないので名は伏せるが、とにかく個性個性個性、社長自身も個性の塊だった。背も大きく全身コムデギャルソンの黒ずくめの洋服。強烈お洒落。怒ったときの口癖は「てめえ馬鹿野郎この野郎馬鹿野郎!」であった。よく怒られたし、ときどき褒めてもらった。わたしが27歳のときあることがあり、生意気にも「納得がいかない」という思いに駆られ、悩んだ末、社長室へ行った。テーブルをはさみ対峙して座り、青くさい主張をするわたしに社長は言った。