クラブ「姫」は安藤昇の愛人だった時の愛称から名付けた
そうは言うが、この回想をうのみにはできない。なぜなら、東映の女優になった年が1957年なのである。これでは女優になる前に、銀座の店をオープンしていたこととなり計算が合わない。「東映時代に安藤と出会ったこと」も「横井事件の翌年に『姫』をオープンしたこと」も、いずれも山口洋子自身が述懐している。安藤との出会いも店の開業も、時系列を勘違いするようなささいな出来事とは思えない。
《始めた年はいつも忘れてしまう》とはつまり、長年にわたってサバを読んでいたからにほかならない。おそらく「姫」がオープンしたのは1959年の8月8日で間違いないのだろう。
くしくも同じ年の10月、野口修も家業の野口拳闘クラブを「野口ボクシングクラブ」と改称し、その興行部門を「野口プロモーション」として起業している。両親の庇護下にありながら、ボクシングプロモーターとして独り歩きを始めた25歳の野口修。クラブママとして小さいながらも一国一城の主となった22歳の山口洋子。
若い2人は同じような時期に、独り立ちをしたのである。 =つづく