「キックの鬼」こと沢村忠を生んだ“名プロモーター”野口修
2021年3月26日。キックボクシングの第一人者にして昭和の格闘技界のスーパースター、沢村忠が千葉県内の病院で亡くなった。享年78。
代名詞ともなった必殺技「真空飛び膝蹴り」で敵をなぎ倒し、本人を主人公にしたコミック「キックの鬼」(原作・梶原一騎/漫画・中城けんたろう)は実際の活躍と同時進行で連載され、アニメにまでなった。実在の人物がアニメと同時進行で活躍した事例など、それまであっただろうか。
「YKKアワー・キックボクシング中継」(TBS系)は毎週20%超えの高視聴率をマークし、沢村忠は時代のアイコンとなった。正真正銘、社会現象にほかならず、“沢村狂騒曲”が奏でられていたのだ。
いずれの狂騒曲と同じく、沢村にも指揮者がいたことを忘れてはならない。それが、昭和のプロモーター、野口修である。
■格闘技プロモーターのパイオニア
「ライオン」の異名を取った黎明期の人気ボクサー・野口進の長男として1934年1月24日出生。大学卒業後、家業の野口拳闘クラブのマネジャーとして、三迫仁志の東洋タイトルマッチや、弟の野口恭の世界タイトルマッチを取り仕切った。しかし、世界戦のプロモートにおける資金調達が外為法違反に問われ逮捕。マッチメークを請け負っていたNET(現・テレビ朝日)の「ゴールデン・ボクシング」からパージ(疎外)され、資金繰りに困ったことが、客気な彼を旧態依然のボクシング界から引き離し、新たな道に進ませることになる。