鴻上尚史さんが「第三舞台」を結成した経緯「人生の大事なことは小さな偶然が重なって決まる」

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鴻上尚史さん(作家・演出家/63歳)

 作家・演出家として活躍する鴻上尚史さんのその瞬間は、ターニングポイントとなった早稲田大学時代の劇団旗揚げ。偶然が重なって生まれた「第三舞台」。40年前の経緯を語っていただいた。

 ◇  ◇  ◇

 僕が早稲田大学に通っていた頃は、いい時代でした。他の大学も緩かったでしょうけど、早稲田は芝居のチラシを廊下の壁に貼るのも何をするのも自由でしたからね。

 僕が入った頃、先輩たちが買ってきた、150人収容できる鉄パイプや分厚い生地でできた大きいテントを、大隈講堂の裏の広場にみんなで建ててね。授業の時間になったので校内に行こうとしたら、先輩が「授業になんか出られると思ってるのか、バカヤロー!」と。だから、授業にはほとんど出られない。今は授業と演劇研究会の活動を両立させてるけどね。僕ら新人が40人入り、そのうち授業に出ずに演劇をやる根性のあるのが10人ほど残った。

 もともと、講堂の裏に、50人くらい収容できて芝居が演れるアトリエがあったけど、50人じゃ満足できないからテントを建てたわけです。サーカスと運動会の本部席の中間の大きさ。そこで芝居を上演するのは、僕が入る2年前くらいから始まったらしい。ステージを組んで客席はぎゅうぎゅうに詰めて200人。

 演劇研究会の総員は50人くらい。一番年上の先輩は頭がハゲてたから「え?」と思い、尋ねてみたら「大学に8年間いる」と。2浪して入り、2年休学してることもあって、30歳を越えてるんですよ。当時は学生運動の名残で学費値下げ運動を毎年やって安かったこともあり、ずっと大学にいる人がいました。

「早稲田演劇研究会」という名前で1つの芝居を上演してきたけど、演出家と脚本家志望が5人ずつくらいいますから「俺はこういう芝居をやりたい」と対立し、互いの誹謗中傷がすごいんですよ。それで辞める人も多かった。ある時、頭のいい先輩が「研究会の中に劇団をいくつかつくり、批評し合って切磋琢磨してやろう」と提案。でも、大学のサークル内だけの劇団ではなく、「日本の演劇を変えるんだ」というプロ劇団を目指す意志がないと、研究会の総会で劇団結成を否決されてしまうんです。

 1、2年は手伝いばかり。僕は4年になるまでずっと「劇団つくりたい」とは思っていたけど、政治家の派閥争いみたいに足の引っ張り合いが激しかったから言い出せなくて。それに僕はダメな先輩を相手にしていなかったから、多くの先輩から「あいつには絶対つくらせない」と嫌われていて諦めていました。「俺が俺が」というタイプでもなかったし。

仲間に「そろそろ腰、上げたら?」と言われなかったら今はない

 ある日、たまたま研究会仲間の大高洋夫から麻雀に誘われ、ある先輩も誘うことになった。でも、先輩の家には電話がないし、代々木上原の家まで行っても留守。仕方なく「帰るまで待つか」と近所の喫茶店に入って、バカな話をしているうちにしゃべることがなく、劇団の話になった瞬間、大高がポロッと言ったんです。

「そろそろ腰、上げたら?」と。ここが僕のターニングポイントでした。「じゃあ、腰上げるわ」と僕。大高が背中を押してくれなかったら、劇団をつくる決心はしなかったですね。

 大高を入れて男6人の劇団員が集まり、劇団名は役者たちが「演劇冷蔵庫」とか提案してきて、「お客を冷やしてどうすんだ」と僕。「熱風」というのもあったけど「暑苦しいからヤダ」と。結局、僕が「第三舞台はどうだ?」と言って決定。

 もし総会で拒否されても、その時は劇研とは別にやろうと腹をくくってました。運よく1つの劇団がプロ劇団になり、籍が空いたので、総会でも賛成されました。

■僕を嫌っていた先輩は作品のデキに苦虫を嚙み潰した

 公演は100人の席数にして3日で300人動員。おもに大学生のお客で、反響が異常によかった。テント内には機材が置きっ放しで、泥棒に入られると困るから僕と手伝いのスタッフはテントで寝泊まり。2日目の夜、1人のお客が訪ねてきて「あんまり感動したのでメシおごらせてくれ」と。うれしかったですね! 僕は照れくさいから留守番をして、スタッフが焼き肉に連れてってもらいました。

 僕を嫌っていた先輩たちは作品のデキに苦虫を噛み潰した感じ(笑い)。「みんな嫌ってるけど、おまえは正しいと思うよ」と認めてくれる先輩もいた。それが「朝日のような夕日をつれて」といって、第三舞台で何度も再演し、僕の代表作のひとつとなった作品です。

 次の公演ではお客が600人、次が900人、1500人、3000人と増え、紀伊國屋ホールでやるまで3年半だったかな。

 劇団結成の経緯は第三舞台がブームを起こした頃によく聞かれました。その頃は結成は必然と思って答えていたけど、今思えばあの時、大高洋夫に「腰、上げたら?」と言われなければ結成してないし、あの日、麻雀に誘おうとした先輩が家にいたら大高と喫茶店に行ってない。そして先輩がなかなか帰ってこないから劇団の話になったことなど、人生の大事なことは小さな偶然が重なって決まるんだな、とすごく思います。

(聞き手=松野大介)

∇鴻上尚史(こうかみ・しょうじ) 作家・演出家。1981年に劇団「第三舞台」結成。以降、作・演出を多数手がける。紀伊國屋演劇賞、岸田國士戯曲賞、読売文学賞など受賞。エッセイスト、小説家、テレビ司会、ラジオ・パーソナリティー、映画監督としても活躍。俳優育成のためのワークショップや講義も精力的に行っている。著書多数。近著「演劇入門 生きることは演じること」(集英社新書)発売中!

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