飯野矢住代誕生秘話<11>バンド活動費を矢住代が捻出してもジョニー吉長との同棲は幸せだった
あくまでも筆者の想像だが、バンドメンバーの生活費も矢住代がやりくりしていたのではないか。男一人を食べさせるだけなら、女優やモデルとしてのギャラに加え、クラブ「姫」のナンバーワンホステスとしての通常の収入だけで十分お釣りが出たはずである。しかし、マダムである山口洋子に給料のバンス(前借り)を無心していたというのだから、相当の金を必要としていたことは判然とする。もしかしたら、所属事務所であるジャニーズ事務所の実質的な経営者、メリー喜多川にもバンスを願い出ていた可能性は高いのかもしれない。こうした事例はバンドマンに限らず、下積みの役者、歌手、芸人、作家……と、よく聞かないでもないからだ。それでも、飯野矢住代はジョニーとの暮らしに幸せを感じていた。
《毎日、矢住代は、マーガレット、ピンクのバラをいっぱい買って部屋を飾った。ジョニィのために、バスルームには、ヒゲソリ用の拡大鏡のついた鏡を入れた。ふたりにとっては、オトギ話のような楽しい生活がスタートした。
それは、すてきな男性とお花に囲まれた城で暮らす、矢住代の幼いころからの夢をかなえたし、誤解と中傷の渦巻く外界からふたりを守る、ただひとつの安息所でもあった》(「週刊平凡」1970年1月15日号)