<17>中高年になってからの絵の趣味は手先を使い、ボケ防止に
絵を描くようになって私がお世話になったのは二科会の中山三郎先生ですが、当時、会長を務めておられたのは洋画家として有名な東郷青児先生でした。東郷先生にもよく目をかけていただきました。
先代増位山の親父が、東郷先生に北の湖さんの化粧まわしを描いてもらえないかとお願いした時があります。東郷先生が快諾してくれて、3枚つづりのきれいな鶴の絵を描いてもらうことができました。それと、太陽を描いた絵とか、今も水彩画7、8枚は持っています。
東郷先生の後、トップの理事長になったのは吉井淳二先生です。出身が東郷先生と同じ鹿児島で、地元で老人ホームもやっている方でした。吉井先生に呼ばれて鹿児島まで出掛けていったこともあります。お礼にといって桜島から煙が出ている油絵とか、素描画もいただきました。
他にもお宝は、結構ありますよ。倉庫には喜多川歌麿、広重、鈴木春信の浮世絵なんかも。女の人が湯あみしている絵や湯上がりに鏡に向かってクシですいている絵とか。珍しいのでは帝銀事件の平沢貞通の絵。彼は絵描きで二科展で入選したこともあったんです。絵をしまっている箱に「平沢貞通」と名前も書いてあります。
20代から40年以上絵を描いて二科の公募展で十数回入選し、特選ももらいました。でも、会員じゃありません。会員になるのは大変です。やはりそこは本当のプロの人たちとの違いです。
有楽町の交通会館でグループ展
公募展に出すようになってからは絵描きの仲間と何度もグループ展を開きました。かつてヒットした曲「黄色いさくらんぼ」を歌った、スリー・キャッツのメンバー、牧山(堀田)直江さんやテイチクの大先輩、菊池章子さんの妹で、和田弘とマヒナスターズと「北上夜曲」をデュエットした多摩幸子さんと3人でやっていました。おふたりとは中山先生のお弟子さんつながりです。
最初は銀座の有名なクラブ「姫」の横にあった画廊でやってたけど、それがなくなって有楽町の交通会館の地下に移って、十数回はやったかな。あそこは公募展、グループ展、個展といろんな展覧会をやっているので、見て回るのも楽しいんです。見て回っているうちについ1枚買っちゃったり。ミイラ取りがミイラになった、ですね(笑い)。
中高年になってからの絵の趣味はいいと思います。まず手先を使う。手先を使うとボケない。それは前にお話ししたサックスと同じ。ただ、サックスは独学でもできるけど、絵はある程度、先生について習った方がいいと思う。うちのカミさんも絵を始めて、友達3、4人が集まって月に1、2回、二科の先生に教えに来てもらっています。
カミさんはメルヘンチックな絵を描くんだけど、僕の展覧会の時に2、3枚展示するとカミさんの絵の方が売れたりするの。やんなっちゃうね(笑い)。
今は忙しかったり、体力的にしんどいこともあって、絵はお休みしています。倉庫には木枠から外し、布にしたキャンバスが山のように積まれていますよ。=つづく
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)