五木ひろしの光と影<20>「紅白」と「レコ大」を制するということは「日本の歌謡界を制すること」だった
かつて午後9時からスタートしていた「紅白歌合戦」のオープニングは、まずスクールメイツによるパフォーマンスがあり、司会者の紹介が繰り広げられたところで、出場者の入場式がある。その間約3分。そこでレコ大歌手は何事もなかったかのように入場式の列に加わり、皆に祝福されながら紅白のステージに立つ。歌手冥利に尽きるだろう。この移動劇は大晦日の風物詩であり、ちょっとしたイリュージョンとして筆者の脳裏に今も刻み込まれている。今のテレビマンはこういうリスクを演者に背負わせない。だから最近のテレビはつまらないのである。
いずれにしても「紅白歌合戦」と「日本レコード大賞」は年末最大のビッグイベントであり「紅白歌合戦」で大トリを飾ることと「日本レコード大賞」を制するということは、大袈裟ではなく「日本の歌謡界を制すること」だった。
昭和の代表的な作曲家である古賀政男と服部良一が中心となって、日本作曲家協会(現・公益社団法人日本作曲家協会)が設立されたのは1959年。その際「日本にもグラミー賞のような音楽賞をつくろう」という古賀政男の呼びかけで同時に企画されたのが「日本レコード大賞」である。