荒牧陽子さんは30歳でモノマネシンガーに 下積み時代での思わぬオファー、数秒での決断まで
30歳になった年に「スタードラフト会議」(日本テレビ系)のスタッフさんからオファーの連絡が来ました。「お話を聞きたいです」という軽い感じでしたが、もちろん私はシンガー・ソングライターとして呼ばれたと思い、うれしくて震えましたよ。
局に打ち合わせに行くと、スタッフさんが「モノマネで出ませんか」と。分厚い資料を持っていて、私がガイドボーカルを務めた数千曲の歌を調べたものでした。
言われた瞬間は「どういうこと?」とすぐには理解できませんでした。私はモノマネのつもりでガイドボーカルを歌っていないですから。ガイドボーカルのスタッフさんからは「歌手の歌い方に寄せてください」とは指示されていましたが、モノマネしている認識はまったくなかった。
その時は30歳になって半年後で「私はもうシンガーとしては厳しいのかな……」と感じ始めていました。だから「私、自分の歌しか歌いません! とか言ってる場合じゃない!」と数秒で決断。次の瞬間には「なんでもやります!」と言ってました(笑)。そこが私の大きな分岐点。こんなチャンスは二度とないと思いましたし。