山田太一と木下恵介を結びつけた映画監督・吉田喜重
小津が認めている木下にこう言われて、小津も我に返る。
俗に「木下学校」と称されるが、その”卒業生”には、監督の小林正樹、松山善三、そして吉田、俳優では高峰秀子や田村高広などがいるが、晩年になっての弟子が山田太一である。
山田と木下を結びつけたのは吉田だった。山田はもともと映画界に入ろうなどと思ってはいなくて、たまたま募集していた松竹の助監督の試験を受けた。映画は好きで、よく見ていたが、とりたてて木下にあこがれていたわけではない。だから入ってからも、この巨匠に早くつきたいと一生懸命にはならなかった。また木下につきたい人は大勢いて、簡単に入れるわけでもない。新人の助監督が順番にまわる時に、『楢山節考』を担当して以後、木下組と山田は縁がなかった。安い給料を補うために残業の多い監督につき、徹夜の連続で、まっすぐには歩けないような日々を送っていた。そんな時に吉田から、木下組に入らないかと声をかけられる。監督になって一本立ちする吉田が、かわりに山田を推薦したのである。率直に言って、巨匠の組に入るのは、ためらいがあった。ワンマン体制で、みんなが監督の顔色をうかがっているように思われたからだ。