プチ鹿島が川口浩探検隊を“探検”した理由「メディアの熱狂の時代を不透明決着で終わらせてはいけない」
懐古主義にせず「今」を聞きたかった
──改めて番組を見ると、隊長になりきる川口さんのプロ根性にしびれます。
番組の有名な“事件”は、隊長がピラニアに噛まれて大流血したシーン。放送翌日の教室は「あれは本当か、演技か」と持ち切りでした。元隊員が言うには「本当に噛まれた」と。ピラニアが異常発生している川の絵が欲しくて皆、待ち時間に釣って、いけすに集め、最初は慎重だったけど、そのうち慣れて針を外したときにガブッと。
──ピラニアに慣れるのが、まずすごい。
隊長は別の場所を撮影していたカメラの元へ飛んで行って「撮れ撮れ!」って、あの伝説のシーンが生まれたわけです。探検隊はフェイクの中にリアルが紛れ込んでいる瞬間が頻繁にある。だから、簡単にヤラセとか、お気楽な感じで一笑に付すことはできません。
──最近の番組は「わかりやすさ」を求め、テロップの洪水ですが、探検隊はナレーションの田中信夫さんの名調子でグイグイ引っ張り、ほぼテロップなし。語りのみの進行に驚きます。
ある元隊員は、ロケが終わって帰国してからが本当の仕事と語っています。3分くらい歩くだけの映像に、あおり文句をいかに付けるかが大変だったと。そこが放送作家の腕の見せどころで、あの頃のテレビ作りですね。
──ある元隊員は「テレビの幸せな時代だった」と振り返っています。
ただ、僕はこの本を「昔は自由だった」「昭和スゴイね」と懐古主義で終わらせるつもりはなかった。元隊員にもテレビの「今」を聞いています。だって今の方が大変ですよ。モハメド・アリ戦のアントニオ猪木じゃないけど、コンプライアンスやら、がんじがらめのルールの中で番組を作らなければいけない。だから、後半はメディア論を展開しているんです。
──探検隊終了の遠因とされる「アフタヌーンショー」のヤラセリンチ事件に迫っています。
85年に同じテレ朝の情報番組で、いわゆるスケバンに密着し、リンチシーンを放送したら、ディレクターの依頼を受けたヤラセの疑いが浮上し、番組は即、打ち切り。ディレクターも暴力行為教唆容疑で逮捕されました。僕が「ヤラセ」という言葉を覚えたのも、この事件がきっかけ。だけど探検隊を探検し、「嘘」の中の「本当」を発見した以上、この事件も半信半疑の境地で洗い直そうと思い立ったのです。すると、逮捕翌年にディレクターが出版した「あれはヤラセじゃない」と訴える告発本を読んだ途端に“事実”があやふやになって。
──彼は現在のメディア状況に通底する言葉も残しています。
事件を追うと、ロス疑惑や日航機墜落事故、当時の政治状況など、幾つもの事象が絡んできて、関係者も一様に口をつぐむ。虎の尾を踏んでしまった心持ちでした。思えば84~85年に潮目が変わったのは探検隊だけじゃない。メディア自体の潮目も変わったのではないか。84年に週刊文春が「疑惑の銃弾」を発表して以降、ロス疑惑は「報道とは何か」を突きつけたし、報道陣の目前で発生した豊田商事会長刺殺事件も85年。メディアの在り方が問われる事件が多発しています。
──メディアが熱狂していた時代ですよね。
テレビ史を変えたヤラセリンチ事件の真相もロクに検証されず、ロス疑惑も三浦和義さんが亡くなってグレーなまま。まるで探検隊の「不透明決着」です。84~85年は現在の挑戦しにくいメディアに至る時代の転換期だったのかもしれない。改めて熱狂の時代を検証すべきじゃないでしょうか。
──来月18日から初監督・初主演の「劇場版センキョナンデス」が公開。ラッパーのダースレイダーさんと国政選挙の現場を突撃取材した作品です。幅広いジャンルでの活躍は、もはや芸人の域を超えていませんか。
いや~。長年の謎の答え合わせをしたり、ヒリヒリする現場を見たいだけ。あくまで芸人らしく、俗っぽいヤジ馬ですよ。
(聞き手=今泉恵孝/日刊ゲンダイ)
▽プチ鹿島(ぷち・かしま) 1970年、長野県生まれ。大阪芸術大学卒。時事ネタと独自の見立てを得意とする芸風で、雑誌・ウェブなどにコラムを多数寄稿。TBSラジオ「東京ポッド許可局」に出演のほか、主な著書に「お笑い公文書2022 こんな日本に誰がした!」(文芸春秋)、「プロレス社会学のススメ コロナ時代を読み解くヒント」(ホーム社)、「芸人式新聞の読み方」(幻冬舎)、「教養としてのプロレス」(双葉社)など。