北公次による35年前の「性被害告発」の凄まじい“影響力” ジャニーズCD販売数が軒並み下落
「音楽番組は『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』『夜のヒットスタジオ』などが続々と終了し、ゴールデンタイムは『ミュージックステーション』だけになりました。ビジュアルの良いアイドルはテレビと相性が良いですから、音楽番組の激減も売り上げ枚数の減少に大きく影響しています。そのため、ジャニー氏の送り出した90年デビューの忍者はシングル3枚目、91年デビューのSMAPは4枚目で10万枚を割りました。この頃は作りもののアイドルではなく、自分で曲を作るバンドやシンガーソングライターが人気でした」(芸能関係者)
北の勇気ある告発はジャニーズ事務所を弱体化させた。しかし、90年春に週刊誌の取材に応じて以降、北は再び口を閉ざすようになった。
「一度、芸能人になってしまうと、転職は困難です。特に当時は周りから色眼鏡で見られましたし、本人もスポットライトを浴びた経験を忘れられない面もある。北は地元などで働いた時期もありましたが、90年代には舞台に出演するなど芸能界に戻った。タレントとして生きていくためには、口をつぐまなければならなかったのでしょう」(前出の芸能関係者)