柴田理恵さんSPインタビュー「親の介護はひとりで抱え込まないほうがうまくいく」
「要支援1」がいきなり「要介護4」に
次の仕事が控えていた柴田さんは、「ごめんね。仕事があるから、もう行くね」と、意識が朦朧としている母親に対して、そんなふうに静かに声をかけて、病室をあとにしたという。
「それからというものは、母のことが気にかかって心落ち着かない毎日でした。でも1週間後に、再び面会に行ったら、抗生物質の投与などの治療がうまくいき、『わたしが誰だか分かる?』とたずねたら、『もちろん、分かる。理恵』と言ってくれるまでに回復しました。ただ、病に侵された体は極度に弱り、そのタイミングで行われた要介護認定の更新は、入院前が要支援1だったのに対し、入院後は2番目に重い要介護4と認定されました……」
一般的に要介護4は、常時介護が必要で、自分ひとりでは日常生活が難しい状態である。
「やはり東京に来てもらって一緒に同居するか、施設に入居してもらうのがいいのでは? という考えもちらつきました。でも、それは、子どもの勝手な都合であり、母が望むことではありませんでした。長年、住み慣れた場所を離れ、見ず知らずの場所で子どもと同居をはじめたことで、逆に生活にハリを失い、元気をなくす高齢者がいるという話も聞いたことがありました。母にとって大切なものは、みんな、富山にある。それを無理に奪うことはできない。子どもとしてやってはいけないことだと思いました」
慣れ親しんだ富山で暮らしたい──。そんな母親の切なる願いをかなえるため、柴田さんは、これまで通り生活拠点は東京のままで、仕事も続けながら、遠距離介護を行うことを決意したという。