AYA SHIMAZU名義で世界デビュー 「歌怪獣」島津亜矢さんを巡る奇跡
島津亜矢の歌い手としての凄みを言い表してこれほど的確なものはないだろう。
紅白を観て年が明けた16年、マキタスポーツさんは自身のラジオ番組で亜矢さんを絶賛、「歌怪獣」と呼ぶ。これが話題となり、やがて本人の耳にも届く。以来「歌怪獣」は公認ニックネームとして定着したという幸せなストーリー。
■「うまい歌手がまた熊本から出てきた」
熊本の隣県である福岡に住む両親から「うまい歌手がまた熊本から出てきた」とぼくが初めて聞いたのはかなり早い。80年代後半だった。1971年生まれの亜矢さんは15歳の若さでデビューしているから、世に出て数年経ったころか。「また」は、熊本が水前寺清子、八代亜紀、石川さゆりといった演歌の女性スターを輩出したことを指すのは明らかだ。とはいえ、当時は縁遠く感じていたジャンルの話題としてすぐに消費してしまったぼくが、歌手島津亜矢をつよく意識するのは2010年代まで待たねばならなかった。
12年4月、NHK-FM『松尾潔のメロウな夜』に、一風変わったリクエストが届く。R&B、ソウルに特化したこの番組にいつも通好みの曲をリクエストしてくる常連リスナーからのメッセージには、シンプルに「島津亜矢があの名曲を!」とあった。ぼくは大ヒット映画『ボディガード』に主演したホイットニー・ヒューストンが歌った主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を、亜矢さんが10年にカバーしていた事実を初めて知る。なぜ12年になってリクエストされたかといえば、同年2月にホイットニーが悲惨な最期を遂げたから。いつだってラジオDJを支えるのは、時機の読みに長けたリスナーの存在なのである。オンエアがきっかけでぼくは亜矢さんのコンサートに招かれ、そこから付き合いがはじまった。