映画プロデューサー高野てるみさんが1枚の写真と共に語る「ジェーン・バーキンの魅力」
旅行すると空港の税関で大騒ぎに
バーキンのことは三十数年前にも一度インタビューしています。ご存じのように彼女は事実婚を含め3回結婚しました。最初はイギリス人で「007」シリーズの作曲家ジョン・バリーと。この時は長女ケイトを産んでいます。その後すぐにフランス人の作曲家、歌手、俳優、映画監督のセルジュ・ゲンズブールと出会い、次女シャルロットが生まれました。次に映画監督ジャック・ドワイヨンと結婚して、三女ルーがいます。
インタビューしたのは1989年。三女のルーも連れて来日したバーキンが日本で初のコンサートを開きました。
バーキンが世界的にも大きな話題になったのは今の日本風にいえば、ちょいワル芸術家のセルジュ・ゲンズブールと付き合っていた時です。ゲンズブールがその前に付き合っていたブリジット・バルドー(BB=ベベ)のために「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を作ったのですが、ベベとは破局し、ゲンズブールと、パートナーになったバーキンがデュエットして69年にリリースされました。2人がベッドでなまめかしく喘ぐような声で歌い、物議を醸したあの曲です。聴けば、誰でもすぐにわかると思います。
76年には同名のタイトルで映画化もされたのですが、ゲイの男と愛を交わすきわどいシーンがあるセンセーショナルなもので、時代のアイコンとなったのがバーキンです。
三十数年前、バーキンがやってきた時に印象に残っているのは娘たちの話です。旅行すると空港の税関で大騒ぎになるというのです。ドワイヨンには連れ子のローラもいて、ケイトはバリー姓、シャルロットはゲンズブール姓、ローラとルーはドワイヨン姓なので、係員に「どこが親子だ、嘘をつくな」と信じてもらえない。「子供たちに『早くママと呼びなさい』と叫んでいた」と語っていました。
この時のバーキンは猫っ毛のセミロングヘアをひっつめ、一つに束ねていました。しかも洗いざらしのUネックのセーターにコーデュロイのパンツ姿。ベルト代わりのスカーフでウエストを絞っていた。つまり10年の来日の時も21年前とまったく変わっていなかった。違っていたのは前よりもっとノーメークになっていたことです。
ステージに上がった時は、使い込んだ黒のバーキンを持っていました。バーキンは普段はバッグに大根を入れたりして、まったく飾らない人です。それは気取らず、反体制のスタンスを取って、アンチを標榜していた姿勢の表れでしょうか。バーキンは3.11の東日本大震災の時にも来日して被災地を訪れています。
ちなみに、私はバーキンのバッグを持っていません。とにかく重い。たくさん荷物を持って歩く方なのでバーキンは無理。持つのはアニエスベーですね(笑)。