11年間の闘病の末に亡くなった京塚昌子
■1994年9月
ふくよかな体形でドラマで人気だった女優の京塚昌子。60年代から70年代にかけて「肝っ玉かあさん」「ありがとう」などの名母親役として活躍したが、94年9月23日午後7時過ぎ、東京・田町の病院の一室で京塚昌子が静かに息を引き取った。享年64。直接の死因は心不全だが、長らく脳梗塞で入院生活を送っていた。最期まで付き添った妹によると眠るような安らかな死に顔だったという。
病に倒れたのは83年9月。公演先の愛媛県松山市の宿で、朝起きたら手足が動かず、口も回らない。そのまま市内の病院に搬送されて、20日間入院。その後、東京の病院に転院して療養した。
一見、健康そのものの印象だが、71年に糖尿病と診断されていた。脳梗塞は糖尿病由来と考えられた。女優の傍ら小料理屋や天ぷら屋を経営して食道楽としても酒豪としても知られ、倒れる直前にも「ちょっと太りすぎたから減量しなきゃ体に悪いわね」と共演者の池内淳子に漏らしていた。
東京の病院は3カ月で退院したが、自宅に戻ってからは1日1400キロカロリーに食事を制限された。85キロあった体重も最後は60キロを切るまでに。根っからの楽天家でそのうち元に戻るものと思っていて、リハビリはサボりがちだったというが、食事制限はきっちり守っていたという。