堀江しのぶは絶対的な日本人の母親像“和顔”だった
野田のもとに強運が舞い込む。
クラリオンガール・コンテスト主催側に俳優・プロデューサーの黒沢久雄がいた。あの世界のクロサワ、黒沢明監督の長男である。
バンドを組んでいた黒沢久雄は、ライブハウス、ディスコなどでスタッフとして働いていた青年時代の野田と知り合い、公私にわたってつきあうようになった。
黒沢久雄はイエローキャブという芸能プロダクションを経営し、クラリオンガール・コンテスト運営に関わっていたのだが、父黒沢明の新作「乱」の製作を手助けすることになり、プロダクション運営を親友の野田にまかせた。
コンテスト主催者側になった野田は、応募者のプロフィルを見た。すると愛知県西春日井郡在住の高校3年生に目が留まった。和顔の少女がほほ笑んでいる。
これだ!
品がよくて健康的な笑顔、理想の顔立ちだった。高校を卒業したら、野田のもとで育てて大いに売り出そうと思った。
1983年盛夏、第10回クラリオンガール・コンテスト最終選考は東京プリンスホテルで行われた。プールサイドで水着になったとき、初めて野田は愛知県の高校3年生が豊かな胸をしていることを知った。青春時代にジェーン・マンスフィールド、マリリン・モンローのピンナップに胸ときめいた野田だったが、この段階で巨乳ビジネスなど念頭になかった。