がん薬物治療のパイオニアだった木村禧代二先生との思い出
当時のがんセンター血液内科グループでは、毎週1回、朝8時から1時間の抄読会が行われていました。担当者は、外国の有名医学雑誌の最新版から論文をひとつ選び、図表などをプリントしたうえで論文を和訳して説明します。木村先生は出張などで不在の時以外は必ず出席され、いろいろとコメントされました。
また学会の会場では、木村先生は一番前の席に座り、演者によく質問されていました。木村先生がおられる、おられないでは、会場の緊張が違っていたように思います。
木村先生が年に何回か外国に出張される際は、血液検査室の技師さんも含め、手の空いている者は羽田空港まで見送りに行きました。どうしてそんな習慣になっていたのか、がんセンターが羽田に近いこともあったからかもしれません。私も何回か見送りに行き、飛び立つ飛行機に空港の屋上から手を振りました。
木村先生は、毎朝8時には病院に着いておられました。夜に受け持ちの患者さんが亡くなると、翌朝8時に副院長室に報告に行きます。先生は、机の上に飾られたたくさんのカニ(cancer)の置物の前で、1時間ほどかけて白血病研究のことなどいろいろな話をしてくださいました。