がん薬物治療のパイオニアだった木村禧代二先生との思い出
■「同じことを10年やってみなさい」
がんセンター3階の管理棟の奥にレジデント部屋があり、私はそこに3年間、寝泊まりしていました。夜8時ごろ、3階にある職員用の風呂に入るのですが、同じ3階に副院長室があります。ある時、木村先生が部屋から出てこられ、ばったり会ってしまいました。
「おーい、佐々木君、もう風呂か」
そう声をかけられて、バツが悪かったことを思い出します。
先生は固形がん化学療法の開発にも力を入れていました。「フトラフール」という抗がん剤の開発では、先生がロシアに出張された際、私の担当だった胃がん患者で有効性を示す胃X線写真のスライドを持参され、私はとても誇りに思いました。
ある年の暮れ、4人の若手医師を駒沢公園近くにあった宿舎に呼んでくださり、盛りだくさんのすき焼きをごちそうになりました。あの時の超満腹感は忘れられません。また正月は、「田舎に帰れ。患者は私が診ておく」と言ってくださり、私は安心して帰郷することができました。