汚染された水田の除染 開発のルーツは福島第1原発事故の避難区域の復興支援
近鉄大阪線「長瀬駅」の改札口を出て歩くこと5分、S字カーブを抜けると商店街の一本道の向こうに、赤レンガの門が見えてくる。近畿大学・東大阪キャンパスのシンボル「西門」だ。巨大な門からキャンパスに入り、学生たちの若さに気おされながら、約束の場所を目指す。甲子園球場約12個分という広大な敷地の南端。キャンパスから道路を挟み、普段は学生が寄り付かないような場所にその施設はあった。
近大「原子力研究所」。原子力の研究炉を持つ日本の大学は現在、京都大学と近大のみ。原子炉等規制法により周辺監視区域に指定され、関係者以外の立ち入りは禁止だ。鉄製の門は常時、閉め切られている。大学側の許可を得て“禁断の施設”に入り、待たされること数分。厳重な雰囲気に反し、所長の山西弘城教授(環境放射線)は拍子抜けするほど穏やかな顔つきで現れた。
近大赴任は2011年4月。東日本大震災と福島第1原発事故の1カ月後のことだ。間もなく近大は、原発事故に伴って計画的避難区域に指定された地域の復興支援に乗り出した。福島県「中通り」の伊達郡に属する川俣町の復興プロジェクトに、山西氏も参加した。
「出身は香川です。大震災が起こらなければ、福島とは縁がなかったかもしれません」(山西氏)