性産業が淘汰されたかつての「売春島」を歩く…廃墟だらけで異様な静けさ
三重県志摩市の海岸沖に浮かぶ渡鹿野島。面積約0.7平方キロの小さなこの島は、昭和中期から平成初期にかけて「売春島」として知られ、全国有数のナイトスポットとして賑わいを見せていた。当時の詳細は省くが、島の性産業は時代とともに衰退し、伊勢志摩サミット(2016年)やコロナ禍が決定打となり、完全に淘汰された。現在は観光産業に舵を切り、島の形がハート形であることから「恋人の聖地」としてPRを展開している。そんな渡鹿野島の「今」とは。本紙記者が現地に降り立ち、探索した。
12月中旬の平日正午。「渡鹿野島対岸渡船のりば」付近の駐車場に車を止め、その時を待った。同地と島までは3分ほど。昼間は常時ピストン運航しているため、到着から数分で船に乗れた。料金200円は乗船時に船長に支払うシステム。同乗者は4人だった。
穏やかな波音に包まれながら島に上陸すると、天気は快晴なのに釣り人の姿すらない。周囲を見渡しているうちに同乗者たちの姿は消え、だだっ広く異様なほど静かな港にひとり残された。
まずはたばこを一服……とポケットをまさぐると、ライターを忘れたことに気付き、目と鼻の先にある商店へ。年配の女性店員が居住部に続く階段から顔を出して対応してくれた。
「ライター? 100円。そこのレジに置いておいて」
「500円玉しかなくて。お釣りをください」
たった100円のために煩わせてしまい、快く思われなかったのだろう。ため息をいただいた。気持ちは分かる。が、かつてはうら若き乙女たちの淫靡な吐息があちらこちらから漏れ聞こえていたはずなのに……。
出はなをくじかれて始まった島歩きは想像を絶するものだった。スナックやパブを装った置き屋(売春斡旋所)が乱立するほど栄えたのは今や昔。人口は全盛期の約700人から160人ほどに激減。それを物語るように建物の大半が廃虚と化していたのだ。
船着き場から離れるほどに廃虚の割合は増えた。窓が割れたまま放置された家や、ツタで覆われた建物、今にも倒壊しそうなアパートの数々。島の対岸から見えていた巨大な建物が実は廃ホテルということもあった。誤解を恐れずに言うと、ゴーストタウンのようで恐怖心がかき立てられる。