JV-ITホールディングス 猪瀬ルアン社長(1)9歳の時、ベトナムから難民として来日
「空港で真っ先に父に気づいたのは僕でした。写真でしか見たことがなかったのに、うれしくて駆け寄ったのを今でも覚えています」
猪瀬と母親はしばらく姫路の難民センターに滞在し、週末ごとに神戸で暮らす父の元に通った。
しかし、そんな家族水入らずの時間は長く続かなかった。
「父に愛人がいたんです。母はそれがショックで、心を病んでしまいました」
猪瀬と母親は、親戚がいる神奈川県藤沢市に移り、アパート暮らしを始める。生活保護と、母親が内職や工場勤めで稼ぐ月6万円の収入では、まともに暮らせない。さらに母の心の病も9歳の少年には重荷だった。
「夜中に発作を起こした母を助けようと、泣きながら真っ暗闇の坂道を駆け上がり、駅の公衆電話から119番しました。でも住所が言えなくて……その時は完全に“詰んだ”と思いましたね」
日本の小学校に通ったが、日本語が話せないから授業が理解できない。いじめにもあい、登校拒否になった。そんな息子を母はこう叱責した。