スーパー「オーケー」創業者の飯田勧氏が死去…「関西スーパー」買収の夢はかなわず
首都圏を中心に展開するスーパー「オーケー」の創業者で会長の飯田勧氏が2日、肺炎のため死去した。96歳だった。
飯田氏は1928年、東京都生まれ。終戦直後の45年に家業の酒類問屋、岡永商店(現岡永)に入社。58年に岡永商店の小売り部門として「オーケー」を創業し、東京・上板橋に1号店を開店した。86年に一定期間だけ安売りする「特売」からの脱却を決め、ナショナルブランド商品を競合店より安く販売するEDLP(エブリデー・ロープライス=毎日安売り)戦略を打ち出し、首都圏を中心に1都3県で152店舗を展開するスーパーにまで育て上げた。
飯田氏は2014年に会長に退いたが、経営への意欲は最後まで消えなかった。圧巻は21年に、「200日戦争」と呼ばれた関西スーパーを巡る争奪戦だ。
関西地盤の食品スーパー「関西スーパーマーケット」は21年8月末に「エイチ・ツー・オー・リテイリング(H2O)」の傘下の企業と経営統合すると発表した。だが、そこに関西スーパー株の7%強を保有する「オーケー」が割って入る形でTOB(株式公開買い付け)を提案した。「オーケーは関西スーパーの9月2日の終値に6割強ものプレミアムを付けた1株2250円でのTOBを提案し、株主の賛同を仰いだ」(市場関係者)のだ。