阪神ドラ1横山雄哉 母親が語る「初夢と甲子園」の不思議な縁
野球を始めたのは父の康則さんの影響が大きい。「息子に思いを託したかったんでしょうね」と昌子さんが言うように、高校まで野球をしていた父は、2人の息子に物心がつくとグラブとバットを買い与えた。
小2で野球を始めた時、グラブはすぐに使えるように柔らかく慣らしてあった。自動車関連企業に勤める父の帰宅は遅い。それでも康則さんは毎日のように右手にボール、左手にグラブをはめてあおむけに寝転がり、ボールを真上にトスしてキャッチする動作を何度も繰り返した。グラブの「型」を作るためだった。普段からせっせとグラブを磨いた。
横山が山形中央高校に進学してからは朝6時半に家を出て早くても帰宅は夜10時。昌子さんは朝夕食のほかに弁当を用意し、車で最寄り駅まで送り迎えをした。医薬品の卸売会社で配送の仕事をしていたが、横山が高校に入ると仕事をいったん辞めている。
「いろいろあってのことです」と昌子さんは多くを語らないが、息子が野球に専念できるようサポートに徹するための決断だったのだろう。
ドラフト1位の契約金は1億円が予想される。使い道を尋ねると昌子さんは、「全く実感が湧かないですね。まあ、長男が銀行員だから話を聞こうかしら」と冗談交じりで話すと一転、真剣な口調でこう続けた。