<第6回>21歳で結論 打倒・瀬古利彦には“つま先走法”
ぼくが入った頃の富士通長野工場陸上部は、同好会で(陸上部員としての練習時間や食事など特別な)待遇はゼロでした。
定時に磁気ディスクを磨く仕事をやって、給料は10万円でした。家にも入れなければいけなかったし、寮費を払って生活費を差っ引くと何も残りませんでしたね。それまでの…
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