日本が熱狂 第1回大会出場の藤田宗一氏WBCの舞台裏を語る

公開日: 更新日:

 いまから13年前の平成18(2006)年3月。第1回「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)が開催された。当時、日本はMLBの一方的な開催決定と不公平な利益配分に反発。MLBから「国際的な孤立を招く」と脅しめいた警告を受け、NPB選手会が参加表明へ転じる。

 そんな波乱の末に幕を開けた第1回大会で日本は優勝。野球ファンを熱狂させた。ロッテの絶対的セットアッパーとして日本代表に選出され、初代王者の中継ぎメンバーとして3試合に登板した藤田宗一氏に当時を振り返ってもらった。

■辞退するはずが…

 自分は当時、WBCに乗り気ではありませんでした。04年に62試合登板、05年も45試合とずっとフルで投げていたので、とにかく休みたいという思いが強かった。しかも、第1回でWBCがどんなものかも分からないし、情報もゼロでした。

 ところが、忘れもしない05年オフの12月1週目の土曜日。同期で集まる「47年会」に参加するため、車で熱海に向かっていたときのことでした。運転していた榎(康弘=当時ロッテ打撃投手兼広報)が「そういえば、WBCの候補に入っているけど、行くよな?」と言ってきた。普通のシーズンでもオフでしっかり休めるのは12月の2~3週間程度。辞退するよう伝えたにもかかわらず、熱海に到着するなり、榎が携帯電話で鹿取(義隆=当時WBC投手コーチ)さんに「藤田は出場する方向です」と電話したんです。

 2日後、自宅でぼーっとしていたら鹿取さんから直接電話が来て、「とりあえず2月1日(プロ野球キャンプ初日)に100%の状態で来てくれ」と。「分かりました、頑張ります」としか言えず電話を切りましたが、内心「えっ!」と思いました。プロ3年目くらいから2月1日に100%で臨んだことがなかったからです。

 世界一になり、榎は「オレのおかげやろ」と言っていますが、いま思えば名誉なこと。榎に感謝しています。覚悟は決めたものの、どんな大会かも分からなかったし、アジアで勝ったとしても、向こう(米国)へ行ったらすぐ負けて、日本へ帰ってくるやろと思っていましたね。

 いざ大会が始まって、感心したのは松坂大輔です。

 投げる当日も全く緊張を表に出さなかった。ブルペンでは普段通りで、「行ってきます」という感じでマウンドに向かっていきました。WBCのシーズン翌年(07年)にメジャーへ行きましたが、間近で見ていても直球とスライダーのレベルが高く、これは米国でも通用するなと。マウンド度胸もあって、自信に満ちあふれていました。

 当時はまだ細かったですが、その頃から食欲は旺盛でしたね。日本から第2ラウンドへ向かう飛行機で、通路を挟んで隣の席が大輔でした。チャーター便で、ご飯もお酒も食べ放題、飲み放題です。大輔を見ると、手にはカップラーメン。フライトは10時間くらいありましたが、見るたびに何かをつまんでいて、「また食ってんねや」と思いました(笑い)。

 普段の練習でも真面目で真剣に取り組んでいたし、会えばすぐに挨拶に来るし、上下関係もしっかりしていた。今でも交流があって、来月、名古屋へ会いに行くので楽しみですね。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    火野正平さんが別れても不倫相手に恨まれなかったワケ 口説かれた女優が筆者に語った“納得の言動”

  2. 2

    中日1位・高橋宏斗 白米敷き詰めた2リットルタッパー弁当

  3. 3

    巨人今季3度目の同一カード3連敗…次第に強まる二岡ヘッドへの風当たり

  4. 4

    八村塁が突然の監督&バスケ協会批判「爆弾発言」の真意…ホーバスHCとは以前から不仲説も

  5. 5

    眞子さん渡米から4年目で小室圭さんと“電撃里帰り”濃厚? 弟・悠仁さまの成年式出席で懸念されること

  1. 6

    悠仁さま「学校選抜型推薦」合格発表は早ければ12月に…本命は東大か筑波大か、それとも?

  2. 7

    【独占告白】火野正平さんと不倫同棲6年 元祖バラドル小鹿みきさんが振り返る「11股伝説と女ったらしの極意」

  3. 8

    「天皇になられる方。誰かが注意しないと…」の声も出る悠仁さまの近況

  4. 9

    家族も困惑…阪神ドラ1大山悠輔を襲った“金本血縁”騒動

  5. 10

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議