名参謀が占うヤクルト奥川の1年目「夏の終わりには一軍」
元横浜野球部長・小倉清一郎氏
即戦力に近い高校生だ。
春のセンバツでは投球時のステップ幅が狭く、重心と右膝が高いのが気になったが、夏の甲子園では重心も右膝も落として投げられるようになった。股関節が使え、球にスピンがかかるようになったことが、甲子園準優勝の好結果につながったとみている。
高卒投手がプロで通用するためには、使える変化球を持っていることがポイントになる。奥川(星稜)には、一級品のフォークやスライダーがある。キレも制球も良く、特に落ちる球をコントロールしながら投げるあたりは高校生離れしている。牽制、クイック、フィールディングといった投球以外の部分もまずまず。これができずにプロに入ると、最初は苦労するが、奥川は心配ない。教え子の松坂(西武)の高校時代に匹敵する力がある。
18年夏の甲子園を沸かせた金足農の吉田輝(日本ハム)も高3時は松坂といい勝負だと思ったが、1年目は1勝3敗と苦労した。制球力の甘さが原因だ。
松坂はプロ1年目に16勝を挙げて最多勝。私は12、13勝と予想したが、それをはるかに超えていったのは、「並外れた体力」「スライダー」「伸びる直球」という武器があったからだ。