延期でOA枠どうなる? FIFAとIOCは五輪サッカーで犬猿の仲
ソウルで優勝杯を掲げたソ連のミハイリチェンコ、クズネツォフ、銀メダル・ブラジルのロマーリオ、ベベート、ジオバンニ、銅メダル・西ドイツのクリンスマン、へスラー、そして4位・イタリアのタソッティ、フェラーラといった選手たちが順調に成長してA代表の主軸を張ることになるのだが、彼らの台頭を大いに印象付けた大会だった。
ちなみにメダルには届かず、グループリーグで敗退したユーゴスラビアは、元日本代表監督のオシムが指揮を執り、ストイコビッチやカタネッツ(2人ともロス五輪で銅メダルを獲得している)が輝きを放った。
そして1992年バルセロナ五輪から<23歳以下>が適用され、4年後の1996年アトランタ五輪から3名のオーバーエイジ(OA)枠が採用されるようになる。
アトランタで28年ぶりの五輪出場を果たした日本の西野朗監督は、OA枠を使わずに五輪本大会に臨んだ。残念ながら西野ジャパンは、グループリーグで王国ブラジルと難敵ハンガリーを破って2勝1敗としながら、得失点差に泣いて決勝トーナメントに進めなかった。