日本人初8m超えのため 山田宏臣さんは“8”にこだわリ続けた
山田が選手生活を引退したのは、それから2年後だったが、現役時代は8メートルの壁を破るため「8」にこだわった。銭湯に行けば8の字が付く番号の下駄箱に入れ、ホテルに宿泊する際は8の付く部屋を強く希望。朝隈によればユニホームには8の字を縫い付けていた。
ともあれ、30歳で引退した山田は、社会復帰に大いなる不安を抱いていた。メダリストならまだしも、単に出場しただけの社会人オリンピアンは、社内では肩身が狭かった。
「オリンピック野郎に何ができるんだ?」「陸上部を廃部し、同好会並みの部活動に戻せ!」
事実、そういった声も聞こえてきた。山田をはじめ東急電鉄陸上部からは7人の選手が東京オリンピックに出場していたが、メダリストどころか入賞者も皆無だった。
しかし、山田は耐え、行動に出た――。
(つづく)
▼やまだ・ひろおみ 1942年、愛媛県生まれ。順天堂大学卒業後に東急電鉄入社。70年に39年ぶりに日本記録を更新し、日本人初の8メートルジャンパーとなる。東京、メキシコ五輪陸上走り幅跳び代表。