東京五輪の開会式 2人の遺影をポケットに忍ばせ行進した
スポーツこそが世界平和を構築する
この逸話には続きがある。76年のモントリオール大会陸上競技走り高跳びに出場した、広島市立大名誉教授の曽根幹子の追跡調査で明らかになったのだが、大島は、36年ベルリン大会陸上競技砲丸投げに出場した高田静雄の遺影もポケットに忍ばせていた。
広島市生まれの高田は、戦前は「砲丸王」と呼ばれ、日本陸上競技選手権で通算6度優勝。ベルリン大会では予選落ちだったが、持参したカメラで内外のオリンピアンを撮影するなど交流を深めた。
しかし、敗戦の年の45年8月6日。高田は勤務先である広島市の中国電力本社で被爆。敗戦後は被爆の後遺症に苦しめられるが、「選手たちを撮り続けたい」と、プロカメラマンに転身し、国際写真コンテストで話題になったこともある。
だが、年々被爆の後遺症による白血病が悪化。東京オリンピック開催10カ月前の63年12月10日に亡くなった。享年54。
そのような高田静雄と旧交を温め、病床を見舞っていたのが大島だった。
「開会式の写真を撮りたい」と語っていた彼の意をくみ、遺影をポケットに収め、開会式に臨んだ。
愛称は鎌さん。大島鎌吉は、権力者と闘うオリンピアンでもあった。米国に追従し、80年モスクワ大会をボイコットした際は、政治家を強く批判。世界124カ国・地域のNOC(国内オリンピック委員会)に英文と独文を送付。オリンピック参加を呼びかけている。
スポーツこそが世界平和を構築する――。
終生、そう語っていた大島。85年3月30日に帰らぬ人となった。IOC(国際オリンピック委員会)から「オリンピック・オーダー銀章」が贈られた。享年76。金沢市経王寺の墓に刻まれた「雄躍院芳薫日鎌居士」の法名は、柔らかな日差しを浴びて光っていた。