東京五輪の開会式 2人の遺影をポケットに忍ばせ行進した
1932年ロサンゼルス五輪・三段跳び・銅メダル 大島鎌吉さん(下)
昨年12月14日、石川県金沢市。「弁当忘れても傘忘れるな」のことわざ通り、朝は晴れていたが、昼前には曇天になり、午後になると雨に見舞われた。
この日、私は大島鎌吉の菩提寺である、金沢市の経王寺にいた。
大島の功績を称える「大島鎌吉スポーツ文化金沢研究会」が、「大島鎌吉顕彰碑」を建立。その除幕式が経王寺で行われたからだが、そこで大島の思わぬ逸話を耳にした。
研究会発起人の一人、片桐真佐紀さんが話してくれたのだ。
「東京オリンピックの前年の夏です。金沢高から立教大に入学した自転車競技のオリンピック強化選手の小畑糺さんがヨーロッパ遠征に行く途中、インド洋上で飛行機事故に遭って亡くなっています。それを知った大島さんは心を痛め、1年後の開会式のときに小畑さんの遺影をポケットに入れ、行進しているんです」
事実、63年7月29日にインドで、小畑糺は飛行機事故で死亡していた。それもヨーロッパ遠征直前に落車でケガ。先に出発した本隊に遅れて出向いての、不運な死だった。
そのため悔やんだ日本アマチュア自転車連盟は、10月10日の五輪開会式で着用するブレザーコートを遺族に贈り、同郷である選手団団長の大島はポケットに遺影を忍ばせ、入場行進に臨んだのだ。