無警戒だったオーストラリアの強さに面食らって浮足立った
2004年アテネ五輪で、日本代表の前に立ちはだかったのがオーストラリアです。予選リーグ初戦のイタリア、そして難敵オランダ、強敵キューバを倒し、4戦目の対戦でした。
正直に言えば、オーストラリアはほとんどノーマーク。当時、阪神で活躍していた剛腕リリーバーのジェフ・ウィリアムスがいましたが、それ以外に有名選手は見当たりません。後に阪神、ツインズなどに在籍したクリス・オクスプリングも当時はパドレス傘下、マイナーの無名選手でした。
オーストラリアにも国内リーグがあること、MLB傘下のマイナーには同国出身選手がいることは知っていましたが、警戒するところまでいかなかった。
さらに僕らの警戒心を緩めたのが打線です。オーストラリアの中軸を打っていたのは、00年に中日に在籍した「ディンゴ」ことデーブ・ニルソン。ブルワーズでは野茂英雄さんとバッテリーを組むなど捕手、一塁手、外野手として活躍した選手です。メジャーでは3割を打った年もありましたが、中日では日本人投手の変化球に対応できず、わずか18試合で打率・180。00年限りで退団しました。