アマ野球が長いからこそ抱いたプロの五輪出場への違和感
2004年アテネ五輪の予選を兼ねた前年のアジア選手権は、どこか不思議な感じでした。
会場は札幌ドームですが、日本ハムが移転したのは翌04年から。当時は西武が準フランチャイズ構想を持っていて、公式戦を何試合か行っていた程度。札幌にはさほど野球観戦の文化が根付いていなかったんです。プロ野球といえば、円山球場のデーゲーム観戦が恒例。仕事終わりにナイター観戦というスタイルは当時、札幌にはありませんでした。
そのせいか、僕ら日本代表の試合はお客さんが足を運びやすいナイターにもかかわらず、中国、台湾戦のスタンドはガラガラ。プロの中でも選ばれたスター選手、僕でも一緒にプレーして興奮するメンバーばかりなのにもったいない……なんて気もしました。それでも最終戦の韓国戦は盛り上がったから、終わりよければ……なんですけどね。
■「本当に出ていいのかな」
五輪に当初、複雑な思いを抱いていたのも事実です。僕はプロ入りする前は日本体育大学で4年間、東京ガスで2年間プレーしていました。アマチュア野球にとって最大の目標、目指すべき聖地は五輪でした。東京ガス時代、五輪出場経験のある選手が練習で代表のTシャツを着ていたのを見て、「オレも五輪に出たいなぁ」なんて憧れを抱いたものです。