バレンタインに手招きされ大リーガーの打撃練習を見学した
強い日差しとうだるような暑さ。まるでサウナの中にいるようだった。
1997年夏、私は飯田、沢井の若手選手2人と1カ月間、米アリゾナのピオリアへ野球留学し、提携していたパドレス傘下のルーキーリーグに所属した。すでに現役引退を決めていた私は、コーチ兼引率役としての同行だった。
3人だけで米国へ向かい、現地で世話をしてくれるのは、日本人通訳さん1人のみ。宿やレンタカーは手配してくれたけれど、滞在中の食事や車の運転など生活のことは、すべて自分たちでやった。初めて車を運転したときは、日本とは違う車線に戸惑い、逆走しそうになった。
パドレスや球場のスタッフも率先してエスコートしてくれるわけではなく、こちらから聞かないとチームの動きが分からないような状況だった。
一番初めはビジターでの試合。日本にいるときの感覚で球場へ向かうと、首脳陣、選手が一人もいない。おかしいと思って関係者に連絡すると、試合前にピオリアで練習してから試合会場へ向かうというので、慌てて車でピオリアへ向かった。試合後の洗濯も誰に渡せばいいのやら、という感じだったけれど、ロッテキャンプ時にランドリー担当者の顔を覚えていて、事なきを得た。