バレンタインに手招きされ大リーガーの打撃練習を見学した
食事も苦労した。球場で支給されるのはハンバーガーかホットドッグのどちらか1つと、水のみ。宿はモーテルのような安宿で食事が付いていない。買い出しをするか、外食をする必要があった。
1人当たりの日当は30ドル。当時のレートは1ドル=約150円だったから、3人合わせて1万円強。米国は物価が高く、ぜいたくはできなかった。学生街のテンピで鉄板焼きを食べたのはごちそうの部類。普段は日本食スーパーの弁当などで空腹を満たした。
普段は野球漬けの毎日だったが、休日はいろんなことを体験した。球団の許可を取り、選手、通訳の4人で行ったグランドキャニオンの絶景は、今もまぶたに焼き付いている。
■ドジャースタジアムで再会
そして、何よりの思い出はドジャースタジアムを見学したことだ。95年にロッテの監督としてお世話になったボビー・バレンタインは当時、メッツの監督になっていた。共通の知人を介して私がアリゾナにいることを知り、ドジャース対メッツ戦に招待してくれたのだ。