ヤクルト中村悠平がWBC決勝を回想 大谷翔平が「最後の1球」にスライダーを選んだ4つの根拠
ダルビッシュとの緻密ミーティング
ダルビッシュ有(36=パドレス)とは対戦チームの研究などを通じて、比較的多くの時間を共有した。
「ダルビッシュさんはとても緻密です。自ら持参したデータも参考にしながら、この選手は曲がり球に弱いから、曲がり球を中心に攻めていこう、という感じで対策を立てました。たとえばバッテリーを組んだ韓国戦では球数が少なかったし、3イニングしか投げませんでしたが、(二回の)4番のパク・ビョンホをカウント3-2から外のスライダーで空振り三振に打ち取った場面は、その対策がハマったといえるかもしれません」
決勝戦では先発の今永昇太(29=DeNA)を皮切りに、7人の投手をリード。大谷だけでなく、2~4番手で登板した戸郷翔征(23=巨人)、高橋宏斗(20=中日)、伊藤大海(25=日本ハム)も試合で初めてボールを受けた。
「結構きつかったですけど」と苦笑いを浮かべつつ、「最強の投手陣」とバッテリーを組んだことで改めて実感したことがある。
「強打者相手にも恐れずリードして、投手が投げ込むことができ、ある程度の接戦に持ち込むことができれば、十分勝負できる。世界の舞台でも勝機は必ずあると実感しました。一発勝負の試合だから公式戦とは違う部分もありますけど、強打者に対しても臆せずしっかりと内を攻めたり、緩急を使ったり。個々の選手のデータを活用しつつも、いかに投手のストロングポイントを引き出し、生かすために何をしてあげればいいのか。そういう姿勢、考え方は日本でも生かしていきたいと思っています」
昨季までリーグ連覇を達成。21年には日本一にもなった。そしてWBCの世界一。日本で最も勝てる捕手といっていい。
「最後に世界一という結果になったからよかったですが、ここに至るまではほとんど苦労ばかりしてきたと思います(苦笑)。逃げ出したいと思ったときも相当ありましたから」
中でも苦しかったのは17年。球団史上ワーストの96敗を喫するなど、屈辱の一年となった。
「捕手をやっていて、チームが勝てない上に、自分自身も打てないのが一番つらかったです。(17年以外にも)レギュラーを外れた時期もありました。(1度の日本一、3度のリーグ優勝を経て)どれだけ勝つことが幸せなことか実感しました。好きで始めた野球。自分で乗り越えるしかありません。くじけずあきらめず、苦労を無駄にせずにやってきたことが世界一という結果にもつながったと思います。世界一になった瞬間、ホント、くじけずやってきてよかったなと思いましたから」