名将常総学院の故・木内幸男監督を語ろう 私が公立高教員から“職業監督”に転身した真意
実のところ、私は野球が好きなのかどうか自分でも分かりません。好きじゃないとこんな年までやってない? 確かに、それもそうかもしれません(笑)。でも、今まで2度、本気で辞めようと思ったことがある。
1度目は48歳で竜ケ崎一から藤代に転任した時です。公立校は県の決まりで1校当たりの在任期間に上限が設けられ、私は異動せざるを得なかった。もともと母校・竜ケ崎一で野球指導をするために教師になったのだから、他校でやる気はまったく湧かず……。野球と決別するために、コーチ時代から書きためていた野球ノートを全部燃やしました。教員をやるのは55歳くらいまで。その後はセカンドライフをどう生きようか、なんて考えていたくらいです。
しかし、藤代に赴任すると県会議員や学校関係者から、「頼むから、監督をやってくれ!」「公立校の取手二や竜ケ崎一も甲子園に行けた。だからウチも!」と、毎日のように頼まれまして。藤代は私が生まれ育った町で愛着もある。半ば折れる形で承諾しました。赴任後、監督業に1年のブランクがあるのはそのためです。
2度目は54歳で藤代を辞めた時。本来の人生計画より1年早いけど、現在ロッテで活躍する美馬学が当時2年だった。彼さえいれば私の後任は苦労しないはず。ちょうど潮時だと思ったのです。