名将常総学院の故・木内幸男監督を語ろう 私が公立高教員から“職業監督”に転身した真意
すると、常総学院の当時の監督で春、夏に甲子園を制したあの名将・木内幸男さんから、「オレはもう年だから、あとをやってくれよ」と頼まれました。今度こそ本気で辞めるつもりでしたが、木内さんには同じ茨城県の野球指導者として多くのことを学ばせてもらっていた恩もある。当時の心境は「迷った」なんて軽い言葉では言い表すことができません。
■「中継ぎ登板」のつもりだったが…
結果的にオファーを受けて“職業監督”になったのには、理由がある。木内さんは圧倒的な実績もさることながら、そのあっけらかんとした話し口調から、名物監督として全国的な知名度がありました。そんな木内さんの後任は想像を絶する重圧にさらされる。とてつもなくやりにくいはずです。それなら私が「中継ぎ登板」しよう、と。野球から離れるつもりだったから、重圧も野望も1ミリもなかった。数年で次の人にバトンを渡せばすべて丸く収まると思ったんです。そうして2003年、常総学院の監督に就任しました。
読者の皆さんもご存じかと思いますが、私が5年間務めたあと、監督を引き継いだのは他ならぬ木内さんでした。
当時の心境? 私と木内さんの関係も含め、次回お話しします。