阪神最強助っ人バース激白! 85年日本一の裏側、夜の六本木、岡田監督夫人も交えた私生活まで
ヨーコさんの通訳でクルーズに
──岡田の陽子夫人も含めて家族ぐるみの付き合いだったとか。
「83、84年、最初の2年間のキャンプは、ハワイのマウイでスタートしたんだ。そこにヨーコさんがいて、彼女が全部、通訳をしてくれたんだ。オカダと親しくすることができたのは、ヨーコさんがマウイにいたからなんだ。いちばんの思い出はマウイだね。練習がオフの日にクルーズライナーみたいなのに乗って、食事をしながらきれいな場所をぐるっと回って。家族同士で楽しんだ。家族ぐるみの付き合いができたのも彼女のおかげ。彼女のおかげで、ものすごくコミュニケーションが取れた。ヨーコさんはカナダのモントリオールに留学して英語を学んだ。本当に素晴らしい人だよ」
阪神には通訳もいたわけで、いくら英語が堪能だからといって、陽子夫人が正式な通訳を務めるわけがない。おそらく岡田がプライベートで呼んだ陽子夫人が、練習休みの日にバース一家の通訳を務めて両家の親交が深まったのだろう。
──その後、岡田や陽子夫人と連絡を取ったりは?
「今年4月、日本に来たときに、球団関係者にヨーコさんの電話番号を教えてくださいって頼んだんだ。球団の人は教えてくれなかったので、それなら自分の番号を伝えてくれって頼んだら、帰国してすぐ、彼女から電話がかかってきた」
──どんな話を?
「昔のことを話したんだよ。あのときは楽しかったよねとか、家族のことを話したりとか、オカダが監督に戻ってきて良かったねとか、そんなたわいもない話をしたんだ」
■「オカダには孫の数もホームランの数も勝ってるね(笑)」
──岡田には孫が2人できた。
「オレは6人。孫の数もホームランの数も勝ってるね(笑)。ま、それはともかく、タイガースは開幕から好調で、ヨーコさんからはタイガースが好スタートを切ったというテキストのメッセージももらった」
──マウイ以外、例えば日本で家族ぐるみの付き合いは……。
「マウイから帰ってくると、すぐに安芸のキャンプが始まって、長いシーズンに入る。シーズンが始まると、なかなか家族でくつろぐこともないからね」
──岡田個人との付き合いで思い出に残っていることは。
「通訳はあまり来なかったけど、オカダと行くと必ずと言っていいくらいカワトウとサノも付いてきたんだ(笑)。オカダがひとりで来ることはあまりなかった。通訳がいるわけじゃなかったし、お互い、何を話してるのかサッパリ分からなかったと思うよ(笑)」
──どんな場所でどんなふうに飲んだか。
「チームの食事が終わってから、バーに飲みに行ったな。食べるより、飲むことが多かった。逆に、まずバーに飲みに行って、ツマミを食べて、それが終わってから食べる人は食べたことも。出掛けるのは飲むためさ(笑)。数時間、バーにいて、たくさん飲んで、そこから食べに行く人は食べに行くという感じかな。東京だと六本木が多かったよ」
──あなたの中で岡田の位置付けは。
「彼はとても大切な友達だし、チームメートでもあるし、なにより尊敬している。一緒にグラウンドに出ると、隣のセカンドベースにいて、心配することはまったくなかった。いつも尊敬するようなプレーをしてくれたので、とても信用できる人だ」
■オカダとヒラタがいれば大丈夫
──阪神は前半戦首位で折り返し。岡田監督が前回指揮を執った2005年以来、18年ぶりの優勝が期待されている。
「オカダもヒラタ(平田勝男ヘッドコーチ)も優勝の経験があるから、うまい具合にリーダーシップを取れると思う。キーポイントは8月のロードで勝ち越せるかどうかだけど、その2人は大丈夫だと思う。オカダは強い性格だし、リーダーシップがあるからね」
▽ランディ・バース 1954年3月13日、米オクラホマ生まれ。ツインズなど5球団を渡り歩いたメジャー時代は通算9本塁打にとどまったが、83年に阪神に入団して才能が開花。1年目に35本塁打をマークすると3年目の85年には打率.350、54本塁打、134打点で三冠王を獲得して阪神のリーグ優勝、日本一に貢献。翌86年も.389、47本塁打、109打点で2年連続の三冠王に輝いた。88年のシーズン途中に退団するまで阪神在籍6年間で通算打率.337、202本塁打、486打点。今も史上最強助っ人の呼び声が高い。帰国後は農場経営のほかオクラホマ州議会上院議員なども務めた。184センチ、95キロ。右投げ左打ち。