阪神最強助っ人バース激白! 85年日本一の裏側、夜の六本木、岡田監督夫人も交えた私生活まで
「史上最強の助っ人」という代名詞に異論はないだろう。2年連続で三冠王を獲得、1985年には阪神のリーグ優勝及び日本一に大きく貢献した。なにせ阪神の日本一は当時の1回きりだから、ファンはいまでも彼を「神」と呼ぶ。そんなバースが今回、球宴で行われた野球殿堂入り表彰も兼ねて来日。多忙な合間を縫って、85年の日本一や、阪神ナインの中でも特に親しかったといわれる岡田彰布現監督との思い出などを1時間にわたって存分に語った──。
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85、86年と2年連続で三冠王を獲得したバッティングは、とにかく凄まじいのひと言。日本の野球に対応できずに苦しむ外国人選手が多い中、計6年間の平均打率は.337、通算202本塁打と打ちまくった。
──日本の野球に対応できた理由は何か。
「トレーニングの長さや厳しさは大変だったけれど、成功する最大の秘訣は日本で本当にプレーしたいか、したくないかだと思う。日本に仕方なく来る選手も中にはいる。球団が利益のために、選手を売るケースもあるからね。なので本当に日本で成功したいというモチベーションがあるかどうか。僕は心から日本で成功したいと思った。メジャーリーガーには先にお金をもらうだけもらって、日本で楽をしたいと考えるベテランもいる。でも、自分は心底、一生懸命やろうと思った」
メジャーでの6年間(77~82年ツインズ、パドレス、レンジャーズなど)は計130試合に出場して9本塁打、42打点。パワーはあるものの、守備や走塁が問題で、メジャーに定着できなかった。それゆえ「日本で成功したいというモチベーション」は人一倍、強かったし、だからこそ目の色も変えたのだろう。
■80%くらいは当たってた
──日本のピッチャーの傾向や配球などについて非常に研究熱心だったといわれている。
「日本の選手たちはメジャーリーガーよりも深く、熱心に研究している。例えばワインドアップのときの投手のグラブの位置によって、(両手を高く上げるしぐさをしながら)このときはファストボールがくる可能性が高い、(両手をそれより少し下げて)このときはカーブ、(さらに両手を下げ)ここならフォークボールと……。投手のクセをつかむのは日本に来てから学んだ。周りの選手がやっていることを、自分でもやるようになって、すごく助かった。毎回100%ではないけれど、80%くらいは当たってたね(笑)。それは大きかったよ」
日本で首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回のアレックス・ラミレスは捕手の配球を研究していたが、バースは投手のクセを把握して結果を出していたようだ。
中でも日本一になった85年は打率.350、54本塁打、134打点。1番・真弓明信(34本)、3番・バース、4番・掛布雅之(40本)、5番・岡田彰布(35本)の4人で163本塁打のラインアップは「ニューダイナマイト打線」と呼ばれたほどだ。