阪神最強助っ人バース激白! 85年日本一の裏側、夜の六本木、岡田監督夫人も交えた私生活まで
普段でもオカダとは六本木などにビールを飲みに行ったな
──85年の阪神はとにかくよく打ちました。
「当時はピッチャーが7点取られても、勝つ自信があった。いくら投手が点を取られても大丈夫、自分たちにはひっくり返せるという自信があったんだ。マユミ、カケフ、オカダ、それに自分の4人で、ひとつのチームの本塁打を打ったくらい。とにかく打ちまくったね」
──打線が良かっただけではないでしょう。
「あの年のタイガースはとてもコミュニケーションが取れていた。友達同士で野球をやっている感じで、間違いやミスが少なかった。連係プレーのミスはほとんどなかったと思う。ミスの多いチームは勝てないが、それがほとんどなかった」
──具体的には?
「例えばマユミがライトを守っている。練習のときからライナーがマユミのところに飛ぶと、彼は必ず(一塁を守る)オレのところに投げるんだ。試合中もそう。6年間でマユミは一回もミスをしなかったんじゃないかと思うくらい。ワンバウンドかノーバウンドで、オレのところに正確に投げてきた。読売ジャイアンツの捕手、ヤマクラと言ったっけ? 彼も含めて足の速くない選手が放ったライト前の当たりを、一塁でアウトにしたことは何度もある(笑)。小さなことだけど、そういうことができるのは強いチームだと思う」
──日本シリーズの相手は西武でした。
「当時は西武が早くリーグ優勝を決めた。私たちより5、6試合早かったのかな。西武がお休みモードだったのに対して、タイガースは毎日プレーしていて、そのままの勢いで試合に臨むことができた。それに向こうのエースの郭泰源がケガをして、いなかった。なのでリーグ優勝すれば日本一になれると思ったね。日本シリーズに勝つより、リーグ優勝する方が大変だったような気がする」
──下馬評は西武有利でした。
「第1戦はもうひとりのエースのクドウがリリーフで出てきた。その試合に勝って日本一を確信したね。敵地で彼から本塁打を打ったことは非常に大きかった。1、2戦は決勝の本塁打で、レギュラーシーズンに続き、日本シリーズもMVP? うん、割といいバッターだったんじゃないかな(笑)」
日本一になった阪神ナインの中でも、岡田(現阪神監督)とは特に親しかったという。
──岡田とは一緒に飲みにも出掛けたとか。
「時期によってはチーム全員が集まって飲んだり、食べたりするときがあった。特に8月のロードの25日間は一緒に食事に行って、オカダやカケフが踏ん張りましょう! これを乗り切ろう! などと檄を飛ばしてたよ。でも、普段でもオカダとは六本木などにビールを飲みに行ったな。特に試合に勝って、うれしいときはね」
──他にはどんなメンバーと。
「マユミとはなぜかあまり夜は一緒に出掛けなかったな。オカダ、カケフ、カワトウ(川藤幸三)、サノ(佐野仙好)たちとはよく飲みに行った。それにトレーナーもよく一緒にね。トレーナーにもすごく世話になっていたから、食事やビールをごちそうしたよ。特にサルキ(猿木忠男)さんね。日本に来てから、すごくマッサージが好きになった。アメリカのチームでは全員がマッサージを受けるようなことはなかったけど、日本ではほぼ全員がトレーナーにマッサージを受けている。これは違う文化だね。おかげでオレはマッサージが好きになり、いまでもマッサージを受けてるよ(笑)」