アジアの盟主も今は昔…「江戸の仇を長崎でも討てなかった」日本男子プロ凋落の原因
どうしてレベルが低下したのか?
「1973年に日本でツアー制度が始まる前は、国内には試合が少なく、日本人プロはアジア各国を転戦するサーキットに出ていかなければ賞金を稼ぐことができなかった。当時はハングリー精神が強く、みんな1円でも多く稼ぐという気概があった。
ところがツアーが発足して青木功、尾崎将司、中島常幸のAON時代が到来してゴルフブームになると、国内でも試合数がどんどん増えて海外に出かけなくても楽に稼げるようになった。次第にハングリー精神も薄れていき、いつしかAONの遺産をすべて食いつくしてから、慌てて海外に出て行っても勝負になりません。日本ツアーの“地盤低下”は著しく、アジアでの地位も低下するばかりです」(ゴルフ評論家・宮崎紘一氏)
一方、日本人プロの多くが国内のぬるま湯体質にどっぷり漬かっているときに、韓国やアジアのプロゴルファーは「試合が行われるところなら地の果てまでも行く」と世界中に飛び出していった。
海外ではコースもきれいに整備されず、芝の生えていないコースもある。