和田一浩の外野転向&2000安打達成を支えた大きな武器
4位指名ながら契約金8000万円、年俸1200万円という条件を見ても、西武は上位と遜色ない評価をしていた。この和田も、鈴木がスカウト会議で強く推したことで指名が実現した選手だった。
和田の打撃が覚醒したのは、2002年に捕手から外野にコンバートされてから。05年には首位打者、最多安打を獲得。07年に落合博満監督率いる中日へ移籍した後も、主砲として常勝軍団を支え、43歳まで現役を全うした。
「指名当時の西武はツトム(伊東勤)が正捕手だったんですけど、年齢的にも30代半ばに差し掛かっていました。ツトムのライバルになりうる捕手を探せ、となって、ベンちゃんを見つけた。彼は気配りができて、人柄がいいんですよ。担当地域外でしたけど、日頃からお世話になっていた東北福祉大の伊藤義博監督(当時)からもそんな話を聞いてました。プロ入り後のオフに、『僕がごちそうしますから、食事をしましょう』と誘ってくれたり。そういう選手はめったにいません。そういう人間だから、周りも手を差し伸べたいと思うわけです」
93年の松井和夫(稼頭央)、96年の和田を担当した鈴木は数々の逸材を発掘したが、和田を指名する2年前の94年、「隠し玉」として4位指名を目指した高校生がいた。同年ドラフトでロッテに1位指名されたサブローこと大村三郎(現・ロッテ二軍監督)である。