先日亡くなった吉田義男監督時代の1991年、僕が阪神を逆指名した理由
新人時代の吉田義男監督が、後に解説者に転身した時のことだ。僕が野村克也監督とソリが合わず、苦しんでいる姿を見て、よく甲子園に励ましに来てくれた。その時、吉田さんはこう話していた。
「野村は『このチームはだからダメなんや』とばかり言うが、タイガースを『うちのチーム』と言うたことがない。いつも他人事なんや」
さらに「こんなええ生活してんのは阪神のおかげやろ。文句ばかり言うてないでしっかりやらんかい!」と野村監督に説いていたこともある。
現役時代、「牛若丸」の異名で遊撃の名手として鳴らした。1985年の日本一を率いた監督にして、その後の暗黒時代を率いた監督でもあった。天国と地獄を知る吉田さんは、世の中を味方につけていた野村監督にも、はっきりモノを言った。「よっさん」はだから、ファンに愛された。
僕は1997年、東洋大から逆指名で吉田監督率いる阪神にドラフト1位で入団した。自分で言うのもなんだが、この年は青学大の井口忠仁(資仁)と並ぶドラフトの注目株だった。阪神以外にも3球団、僕を「1位指名したい」と言ってきた球団があった。その中にはあの人気球団も含まれていた。僕の両親は「本当にいいんですか? 条件も見ないで断るのはお宅が初めてですよ」と言われたそうだが、阪神に決めた。関西出身だから、地元の人気球団だからという理由ではない。実にシンプルに「一番早くに声を掛けてくれたから」である。たとえ他の球団でも、一番早かったチームに行っていた。