心揺さぶる評伝特集
その後、台湾・台北の伯母一家に預けられた1年の間に亜熱帯の蝶と出合う。
幼少期から青年期にかけての自然との出合いは、行男の生涯を決定づけるものとなった。
帰国後は東京で師範学校の博物科に入学し、教師の道に進んだ。しかし運命は、このまま教育熱心で山好きな教師として生涯を送る道を彼に許さなかった。博物通論の学生に課した産児制限を論じさせる試験内容が問題となったことや、八ケ岳で遭難未遂事件を起こしたことを契機に、校長から免職の辞令を受けてしまったからだ。
父母の死、度重なる転居、失職、戦争による建物疎開と、行男の生涯には常に予期せぬ困難がつきまとう。
しかし、どこに行っても彼は自然を慈しむ視線は失わなかった。安曇野への疎開を契機に、行男は蝶の細密画を精力的に描き、一人で山歩きをするなかでナチュラリストとしての道を本格的に歩み始める。
なかでも高山蝶については「水陸の分布の変動により退路を断たれて故里にも帰れず、さりとて温暖にも馴致できず、やむなく高地へ閉じ込められた蝶」と表現し、安曇野に流れ着いた自身を自己投影していたようにも見える。だからこそ、経済を優先するあまり山が観光地化され蝶や虫たちの生息地が年々減っていくこと、農薬散布による環境破壊などに対する憂いも深かった。