「朱の記憶 亀倉雄策伝」馬場マコト著
燦然と輝く大きな朱の太陽と、金一色の五輪、その下にTOKYO 1964の力強い文字。亀倉雄策デザインのオリンピックエンブレムは、今も日本人の記憶に深く刻まれている。
なんと、この作品はコンペの当日、催促の電話を受けてからわずか10分ほどでラフを描き、急いで助手に清書させたものだった。
自ら言い出したデザインコンペの締め切りを失念するほど、亀倉は多忙を極めていた。審査会場に駆けつけ、できたばかりのポスターを広げると、会場はしんと静まり、やがて審査員のひとりが沈黙を破った。
「決まったな」
満場一致だった。
短時間で仕上げたからといって、やっつけ仕事とはわけが違う。あのエンブレムには、亀倉の歳月が凝縮されていた。
1915年、新潟生まれ。父の放蕩で実家が没落し、9歳で上京した。武蔵野の紅葉林が、辺り一面を朱に染めていた。東京の環境は、多感な少年を「図案家」へと導いていく。映画やポスターデザインに興味を持ち、直線と曲線で構成されたバウハウスのデザインに衝撃を受けた。売れない画家の片手間仕事から脱しつつあったグラフィックデザインの世界では、名取洋之助、河野鷹思、原弘など、多彩な先輩が切磋琢磨していた。