「漆黒の象」海野碧著
久々の登場だ。2010年11月刊の「篝火草」以来だから約5年ぶりか。すぐに読み始めた。
元警視庁捜査1課の刑事、井出亮二は渋谷・道玄坂で軽食喫茶を経営しているが、副業で私立探偵の真似事をしている。ある日持ち込まれたのは、大手製薬会社の社長から5人の息子を捜してほしいという依頼。研修医時代に不妊患者に提供した精子から生まれた5人がどこかにいるというのだ。
その人捜しがメーンになるのかというと、そうでもない。井出亮二が警察官を志すきっかけとなった昔の事件の関係者を見かけたところから話はズレていく。いや、ズレていくように見せかけているが、すべて確信犯だ。
人捜しというのは基本的に単調な話だから、ここにとても入り組んだ昔の事件を持ってくるということだ。読書の興をそぐことになるので、その昔の事件がどういうものであるのかはここに書かない。2つの話をつなぐのは、親子とは何か、家族とは何かということだ。このモチーフが水面下を流れ続ける。
相変わらずたっぷりと読ませてくれるが、海野碧の小説を読む喜びは、そういうストーリーにあるのではない。たとえば、井出亮二のところに別れた妻から電話が来る場面。この2人がどこで知り合い、どうして別れたのかはいっさい描かれない。しかしその電話のシーンは情感たっぷりだ。2人の間に横たわる歳月の、しんとした静けさを伝えてくる。(光文社 1800円+税)