あの話術は、その場のひらめきだけではなかった
「久米宏です。」久米宏著/世界文化社
本書は、「ニュースステーション」でニュース界に革命を起こした久米宏の自伝だ。ただ、単なる回顧録ではなく、有用なコミュニケーションの教科書の意味合いもある。
私は、2000年から04年の最終回まで、ニュースステーションのコメンテーターを務めていた。当時、私は久米さんのことを天才だと信じて疑わなかった。生放送だから、さまざまな想定外のことが起きる。VTRが間に合わなかったり、中継がつながらなかったり、ゲストが暴走したりが、日常茶飯事で起きるのだ。それでも久米さんは、臨機応変に、的確かつ軽妙なトークで、いつも見事な着地をみせていた。だから番組が面白かったのだ。
しかし本書を読むと、それは才能ではなく経験と努力が生み出したものだった。「ザ・ベストテン」の進行は、黒柳徹子さんの意向で、すべてアドリブだったという。どこに飛んでいくか分からない緊張感が、視聴者にも伝わって、それが面白さにつながっていたのだ。
久米さんの話術は、その場のひらめきだけではないことも、本書は教えてくれる。ラジオ東京で番組司会の永六輔さんを喜ばせようと、久米さんは常識外の現場中継を繰り返した。例えば、電柱をインタビュー相手に見立てて中継をした。もちろん電柱はしゃべらないから、受け答えも全部自分で考えないといけない。だから、事前にさまざまな情報を調べ、ネタをたくさんつくっておく。そうしないと、いざ本番のときにしゃべれないのだ。
事前に膨大な資料を調べて準備するというのは、ザ・ベストテンの黒柳徹子さんも同じだったという。そういえば、ニュースステーションのときも久米さんは、スタッフが渡したゲストに関する膨大な資料を、隅から隅まで読み込んでいた。
放送時間は短いから、準備をした情報の大部分は無駄になる。しかし、使わない情報がたくさんあるから、本番のときに縦横無尽に動けるのだ。
ニュースステーションの本番前、久米さんの手が小刻みに震えていた。私が「なぜ、毎日やっているのに緊張するんですか」と問うと、久米さんは「緊張しないやつは成長しないぞ」と言った。確かに私は、その後まったく成長していない。
★★★(選者・森永卓郎)